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2012年10月16日

三人の人間が死刑・・

 
 

Juliana Coutinho
 




いまから約二千年の昔、

イスラエルにある

ゴルゴダの丘で、

三人の人間が

死刑になりました。

そのうち二人は

強盗や殺人などをした

犯罪者でしたが、

残りの一人は

「ユダヤの王」という

名を冠された罪人であり、

その罪状は

「ユダヤの王を名乗った」

ということでした。

これが有名な

イエス・キリストです。

同じく十字架に架けられたという

客観的事実はあっても、

イエスと他の罪人とでは、

心のなかは

天地ほどの開きがあったでしょう。

外的にはどのような

環境に置かれようとも、

心のあり方は

その人の自治に

まかせられています。

結局、

人間という霊的存在にとっては、

「心で思っていることが、その人のすべてだ」

だということです。

したがって、

どのような心根でもって

生きていくかが大事なのです。




『不動心』
第四章 悪霊の諸相
 P117より

 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 13:52Comments(0)仏法真理

2012年10月15日

悪霊になる・・

 
 

tsaiproject


 


霊的な世界の実在を

信じている人たちは、

悪霊に対する

関心が高いと思います。

ただ、昔話で読んだり、

幽霊話や怪奇話で

聞いたりしていても、

自分の身近な問題として

それらを受け止めることは、

なかなかできないのが

現実ではないでしょうか。

しかし、

目に見えない世界で、

確かに悪霊は暗躍しているのです。

そして、

そうした者に操られている人たちが

この世にはたくさんいるのです。

悪霊とは何かといえば、

人間のエネルギーのなかの

マイナスの部分、

不平、不満、嫉妬、憎しみ、怒り、不安、恐怖、怠惰、貪欲 猜疑、うそ偽り・・

こういったマイナスの想念エネルギーに

感応して生きている者たちだと

思えばよいのです。

地上でマイナスの想念を

数多く持って生きた人は、

死後、地獄界というところへ行き、

悪霊となって

そこに棲みついています。

すなわち悪霊という

特殊な霊が

はじめからいるのではなく、

悪霊になる可能性は

すべての人間にあるのです。

人間は、

心のなかに

どのような思いを抱くかに関して

神から自由を与えられており、

その自由を行使して、

自分を変えていけるようになっています。

思いの自由性というものを駆使して、

人間は

天使のようになることもできれば、

悪魔のようになることもできるのです。

そして、

悪霊という存在は、

残念ながら、

心の使い方、用い方を

誤った人たちだと言えるのです。



『不動心』
 第四章 悪霊の諸相
 P113より

 


 
 


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Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 19:27Comments(0)仏法真理

2012年10月14日

恋愛をすれば・・

 
 

*S A N D E E P*
 




人生の不安というものは、

価値観のところに

原因の大部分があるように思います。

「人からこう見られたいと思っている姿から、自分が転落するのではないか。自分の価値を奪われるのではないか」

ということが、

不安の原因になっているのです。

恋愛をすれば、

「相手に嫌われるのではないだろうか」

と思い、

会社に勤めたならば、

「偉くなれないのではないだろうか」
 
と思い、

商売をすれば、

「失敗をするのではないだろうか」

と思う。

あるいは、

「病気をするのではないだろうか」

と思う。

こうした不安は、

「現在の自分がもっと悪くなるのではないか」

というネガティブな思考からきているのです。

結局、

人生の苦悩や不安の原因、元凶は、

「自分の幸せを左右するものは外部にある」

という考え方です。

これが人間の心を

ぐらつかせているのです。
 
 



『不動心』
 第三章  苦悩との対決
 P81より

 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 20:19Comments(0)仏法真理

2012年10月13日

人生は一冊の問題集・・

 
 

toddwendy




どうやって幸福に生きるか

ということを考えてみると、

それは結局、

「人生に現れてくるさまざまな苦悩と、どのように対決していくか」

という問題に尽きると思います。

「人生は一冊の問題集」

という言葉で表されるように、

それぞれの人間には、

その魂にふさわしい試練が与えられます。

その試練をどのように

くぐり抜けていくかが、

その人の真価、

値打ちを決めるのです。

したがって、

その人にどのような苦悩が

現れているかを見れば、

その人の魂修行が何であり、

何を最高の値打ちとすべきなのかが、

明らかになるのです。
 



『不動心』
 第三章  苦悩との対決
 P73より

 


  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 20:02Comments(0)仏法真理

2012年10月12日

もっと貪欲で・・

 
 

Zach Dischner





人生というものは、

「経験からどれだけ学べるか」

ということを、

神から宿題として

与えられているのです。

人生に変化があればあるほど、

起伏があればあるほど、

学びの糧が数多くあります。

そこからどれだけのことを学ぶか、

見出していくかが課題なのです。

ですから、

「学ぶ姿勢において、もっと貪欲であれ」

「一日にどれだけ学びえたかを誇るようなあなたであれ」

ということです。

何もしないで一日を過ごすよりは、

苦しみでも悩みでも

積極的に受け止めたほうが、

魂にとっては、

むしろ糧になります。

「魂の糧」という観点から見たときには、

人生に無駄なものは

何もないと言えるのです。





『不動心』
 第二章  蓄積の原理
 P49より

 



  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 16:35Comments(0)仏法真理

2012年10月11日

いい人生だった・・

 
 

Brett Jordan





みなさんは、

平安な日々、

心穏やかな日々を

欲するでしょうが、

人生を閉じるにあたって、

自分の一生を振り返ってみたとき、

自分の人生が、

何の波風もない

平凡で平坦なものであった場合、

それで満足でしょうか。

「いい人生だった」と思って

死んでいけるでしょうか。

実は、

波乱万丈のなかを切り抜けていくとき、

魂は光り、

喜びが増えていくのです。

苦難や困難と対決しているさなかは、

確かに大変ですが、

そのなかにいろいろな

味わいがあります。

苦難や困難を

礼賛するわけではありませんが、

そのなかには、

人間をひと回りもふた回りも

大きくするものがあることも事実です。

平凡な日々のなかでは、

人間が大きくなっていくことはないのですが、

苦悩に引き裂かれそうなときに、

それを乗り越えていくことによって、

大いなる自信が生まれてくるのです。




『不動心』
 第二章  蓄積の原理
 P47より

 


   

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 17:40Comments(0)仏法真理

2012年10月10日

雪ダルマが・・

 
 
 
magomaev




毎日毎日、

いろいろなことが起きます。

自分にとっての幸運の種、

幸福の種となるようなことも起きますが、

悩みの種、

心配の種となるようなことも起きます。

これが現実です。

しかし、

いつもそのなかに

教訓を見出し、

自分の成功の種子を見出していく

という観点を持っている人は、

転げるたびに

雪ダルマが大きくなっていくように、

どのようなことが起きても、

そのつど大きくなっていくしかないのです。

このような雪ダルマ型の

人生観を持ってることは、

人間の器を

二倍にも三倍にも大きくしていく上で、

たいへん貴重です。

どうか、

小さな石ころや泥にとらわれないで、

「転げるたびに大きくなっていく」

という考え方を大事にしてください。




『幸福の原点』
 第七章 積極型人生のすすめ
 P202より

 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 22:03Comments(0)仏法真理

2012年10月09日

黄金のパイプが・・

 

 
timo_w2s
 




みなさんに一つの

勇気を与える事実を

お話します。

それは、

「人間はすべての人が、心の中に、神へと通じる一本の黄金のパイプを持っている」

という事実です。

人間は、

自分を孤立した存在、

他者と切り離された存在だと思い、

あてどなく漂っている

浮き草だと思えばこそ、

さまざまな苦悩があり、

悲しみがあるのです。

しかし、

自分の内に

一本の黄金のパイプが通っていて、

それが神の世界へと通じる

無限の長さを持っていると思ったとき、

あらゆる恐怖は

消え去っていくのです。

人に求める必要はありません。

環境に求める必要はありません。

自分の内なる

黄金のパイプに求めてください。

他人に「こうして欲しい」とか、

環境に「こうなって欲しい」とか、

思わなくていいのです。

そうではなくて、

自分の内、

心の内に潜んでいる

黄金のパイプを発見してください。

そのパイプは

無限の彼方に通じ、

神の心に通じているものなのです。

そのパイプからは、

あらゆるエネルギーが

降り注いでくるのです。

そのパイプからは、

限りなき叡智が流れくるのです。

神の叡智が

自らに天降ってきたならば、

そこに何の不自由がありましょうか。

そこに何の苦しみがありましょうか。

そこに何の困難がありましょうか。





『幸福の原点』
 第五章 春爛漫
 P153より

 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 21:07Comments(0)仏法真理

2012年10月08日

未熟なところばかり・・

 
 

Padmanaba01






人間というものは、

足らざるところばかりです。

不足なところばかり、

未熟なところばかり、

至らないところばかりです。

しかし、

そういう人間であるからこそ、

さらなる高度なものへの

目覚めがあるのです。

そういう人間であるからこそ、

理想というものを

追い求めることができるのです。

人間は、

自らの至らないことを

知れば知るほど、

完全無比な、

完全無欠な

神の愛というものに

目覚めていきます。

神とは理想そのものです。

理想を愛することが、

神を愛することでもあります。

この点において大切なことは、

「自分がいくらみすぼらしく見えたとしても、いくら頼りなく見えたとしても、どのように劣等感に満ちた自分であろうとも、自分もまた神の創りたるものであり、神そのものと本質において変わらない」

という見方です。

信仰とは、

そういう本来の自己に立ち戻るために、

大いなる理想に向けて

努力していくことなのです。





『幸福の原点』
 第四章 信仰の原点
 P134より 

 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 20:32Comments(0)仏法真理

2012年10月07日

心の傷を癒す・・

 
 


korom
 






人間は、

だれしも多少の

劣等感を持っています。

そして、

深い劣等感を

持っている人には

二種類あります。

一つは、

劣等感ゆえに傷ついていて、

それを不幸の

原因としている人です。

もう一つは、

劣等感に対する補完作用によって、

劣等感をバネとして、

さらに道を切り開こうとしている人です。

この両方があります。

ただ、いずれにしても、

劣等感を持っていることが、

心の傷になっているため、

その両方の人たちに

心のやすらぎがないことは事実です。

それゆえに、

劣等感のなかに生きている人たちには、

普通の人以上に

愛というものを求めていきます。

なぜなら、

愛は万人の心の傷を癒す

泉だからです。

結局、

劣等感の本質は、

「与えられていない」

という気持ちです。

「人から愛を与えられていない」

という気持ちが劣等感です。

これに対し、

愛とは

「与えたい」

という気持ちです。

愛とは本質的に、

与え続けるものであり、

見返りを求めない行為です。

劣等感に苦しんでいる人は、

与えられる愛ばかりを

考えていることが

多いであろうと思います。

しかし、

「自分はこれだけのことをしたのだから、それだけの評価を得て当然である」

「自分はこれだけ尽くしたのだから、相手から愛されて当然だ」

などという思いが、

実は間違いであるということに

気づかねばなりません。

決して見返りを求めてはいけません。

見返りを求めたときに、

愛は死ぬのです。

与える愛の大切さ、

無償の愛の大切さに

目覚めなければなりません。





『幸福の原点』
 第四章 信仰の原点
 P132より

 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 16:51Comments(0)仏法真理