2012年09月05日
恥ずかしくて、とても・・

肉体を持っていたとき、
その心が透き通しで、
何もかも見通されてしまったならば、
恥ずかしくて、
とても人前に出られないような
生き方をしていた人たちは、
あの世の世界、
霊の世界に還ると、
心のなかをすべて見られてしまい、
また、
霊の世界では
自分の思ったとおりの姿になる
ということを知って、
愕然とするのです。
地上に生きているときに、
人に対する妬みや
恨みを持って生きていると、
体が蛇に変わったりするならば、
人間はすぐに
自分の間違いに気づくでしょう。
ところが、
三次元の法則のなかで生きていると、
そうしたことがないために、
生前は自分の間違いを
知らないでいるのです。
『永遠の法』
第一章 四次元の世界
P35より
2012年09月05日
人の物を盗む・・

どのような生き方をすれば
天国に行き、
どのような生き方をすれば
地獄に行くのか--。
もっとも簡単な考え方では、
いわゆる戒律に照らして、
「罪」と「罪でないもの」
とを分け、
「罪の多いものは地獄に堕ち、罪の少ないものは天国に行くのだ」
としています。
ここ何千年かの人類の歴史のなかでは、
洋の東西や民族を問わず、
こうした考え方がありました。
有名なものとしては
モーセの十戒があります。
モーセ以前にも、
メソポタミア地方においては
「ハムラビ法典」がありました。
確かに、
物事の善悪を容易に分ける
という意味において、
戒律には
分かりやすい面があると思います。
典型的な戒律には
「人を殺すなかれ」
「人の物を盗むなかれ」
というものがあります。
こうした戒律も
一概には幼稚と決め付けることは
できないのであって、
そうしたもののなかにも
確かに真実が光っていると言えます。
しかし、
天国・地獄を
ほんとうに分けるものは、
そうした戒律ではないのです。
結局、
七十年、八十年の人生を通して、
神の子、仏の子としての
本質に気づいた人は天国に還り、
神の子、仏の子としての本質に気づかず、
その芽を出さないままに
肉体人間としてこの世を去った人は、
地獄で厳しい試練を受けています。
これがほんとうの姿なのです。
『永遠の法』
第一章 四次元の世界
P41より