2012年09月02日
火葬場で焼かれると・・

人間にとって、
「自分がどこから来て、どこへ去っていくのか」
ということは重大問題であり、
これが心の底から
離れることはないでしょう。
もし、唯物論者の言うがごとく、
母親のお腹のなかに
生命がいきなり発生して、
六十年、七十年を生き、
やがて火葬場で焼かれると、
人生が
それで終わりになってしまうものならば、
それなりの考えを持って
生きていかねばならないでしょう。
ただ、
人生は一回きりであり、
人間は
短い線香花火のような存在だとするならば、
人生には重大な意義も目的も
見出せないのではないのでしょうか
わずか数十年の人生であるならば、
「自分が楽しまなければ損だ」
という考えになってしまっても、
おかしくはないのかもしれません。
ところが、
宗教家たちが言うように、
「あの世、実在界という世界があり、魂はあの世からこの世に生まれ変わってきて、何十年かの人生を生きる。そして、この地上を卒業したあとも、実在界において、さらなる魂の向上を目指している」
というのが真実ならば、
とるべき考え方は違ってきます。
こうした二つの定点から
人生を見た場合、
どちらが人間の進化や向上に
役立つかといえば、
結論は明らかでしょう。
永遠の進化を目指すという
観点に立ったときに、
人間は
はるかに向上していくということです。
『永遠の法』
第一章 四次元の世界
P18より
2012年09月02日
自殺の名所に・・

気の毒なことですが、
「魂としての生活がある」
という基本的なことを
知らないがために、
多くの苦しみが
拡大再生産されています。
自分自身が
地獄に落ちて苦しむだけでなく、
次の地獄をつくるために、
この世に出てきて
悪さをするのです。
たとえば、
自殺した人の霊は
成仏できないことが多く、
自分が自殺した場所にとどまって、
自殺を繰り返しています。
そして、
その磁場に他の人が来ると、
その人にフワッと憑いて
一緒に自殺します。
そうすると
その人も成仏できず、
そこに元からいる
自殺霊の仲間になることがあります。
そして、
その場所では
自殺が何度も繰り返し
起きるようになるわけです。
このように、
自殺の名所には
成仏してない自殺者の霊がいて、
そこを訪れた人が、
そういう霊に
支配されることがあるのです。
死ねば苦しみが
なくなると思ってはいけません。
この世とあの世は、
実は一貫した流れがあるのです。
『復活の法』
第四章 因果応報
P278より