2013年08月24日
涙を流している人たち
無限の愛とは何か
今よみがえる愛の福音

「信仰」ということを、古臭い、陳腐な、馬鹿らしいことだと思う方もいるかもしれません。
「信仰」という言葉のなかに何を盛るか、それは人それぞれでしょう。
ただ私は「信仰」というものを別の言葉で説明したいと思うのです。
それは、「私たちが、今地上にこうやって生きていられるのは、目に見えない世界で、私たちを生かしておられるものがある」という事実に基づくのだということなのです。
この物質世界を超えた世界が厳然としてあるのです。
その世界には、私たちの喜びを喜びとし、悲しみを悲しみとしている人たちがいるのです。
その悲しみを放置することができずに、みなさん方が気づかない所で涙を流している人たちがいるのです。
その愛が、あの太陽の光のように燦々と降り注いでいるのです。
善人の上にも、悪人の上にも、等しく、慈雨のごとく。
私たちの思いにかかわりなく、行為にかかわりなく、生き方にかかわりなく、父母が幼子を見るがごとくに、完全にみなさんを許しきって、涙を流している存在があるということなのです。
それを信じるということも、信仰であるのです。
信仰とは、摩訶不思議なことではありません。
決して現世利益のためにあるのではありません。
現実に私たちが生きている世界が、いったい如何なる世界であるのか。
私たち人間の本質が如何なるものであるか。
信仰とは、これを知ることなのです。
真実を知るということが、信仰といわれるものなのです。
「無限の愛とは何か」より一部抜粋


