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2012年09月30日

恵まれた家であるかどうか・・

 
 

Brett Jordan






赤ん坊は、

ときどき、

一人でにこにこと

笑っていることがあります。

こういうときには、

天上界の守護霊や

高級霊たちの笑顔を見て、

喜んでいることが多いのです。

生れ落ちたばかりのときには、

素直な心であるため、

このような霊視が

できることがよくあります。

しかし、だんだん、

この世になじんでくると、

そういう世界が

分からなくなってきます。

そして、

地上の世界こそが

すべての世界であると思って

生きていくようになります。

そして、

やがて他人との比較ということが

頭をもたげてきます。

最初のつまずきとして、

小学生あたりから、

友人と自分との差が

気になってきます。

着ているものとか、

恵まれた家であるかどうかとか、

このようなことが

だんだん気になってきはじめます。

この他人との比較ということを通して、

やがて、

不平不満を持ち、

心がすさんでいく人が出てきます。

早くも、

ゼロからスタートした人生であることを忘れ、

この世が自分の

永遠のすみかであるかのように

誤解しはじめるのです。

現在、みなさんが

苦しみを持っているとすれば、

その苦しみの

最初の芽生えとして、

他人との比較が

あったのではないかということを

考えていただきたいのです。




『幸福の原点』
 第2章 与える愛について
 P42より 
 



 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 20:48Comments(0)仏法真理

2012年09月29日

両親も選べずに・・

 
 

.FuturePresent.






人間は偶然に

この世に投げ出されることは

絶対にありません。

生まれてくるときには、

必ず、「人生の目的と使命」

というものを設定して出てくるのです。

人生には目的があるのです。

一定の目的を持ち、

一定の使命を帯びて、

みなさんが地上に出てきているということは、

百パーセントの真実なのです。

そして

霊的世界も百パーセントあるのです。

この世というものは、

魂の修行の場として

設定されているのです。

このことを受け入れるかどうかによって、

今回のみなさんの人生は、

百八十度、

違った人生となりうるのです。

「まったく偶然に生まれた。両親も選べずに、自分の気に入らない環境にでてきた」

と思って生きる人と、

自分自身が選んだ、その環境を、

「自分の魂の修行になる」

と思って生きている人では、

心構えにおいて、

人生の意味が大いに違ってくるはずです。

そして、

特筆すべきことは、

「過去、どのような経験を積んでいる魂であったとしても、今生、出てくるときは、ゼロからスタートする」

ということです。

過去世で

どのような修行をしていたとしても、

どのような世界に

住んでいたとしても、

今世、生まれ落ちるときには、

まったくのゼロのところに

引き戻されるのです。

これが人生の秘密です。






『幸福の原点』
 第2章 与える愛について
 P34より
 
 


 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 19:55Comments(0)仏法真理

2012年09月28日

100%必ず・・

 
 

dominiqs






この世というものは

仮の世です。

永遠の生命を生きている者同士が、

同時代に、

この物質世界において、

肉体に宿り、

人間的生活を送ることによって、

共に切磋琢磨してるのです。

人は必ず死を迎えます。

それが、

いつであるかは分りませが、

死は100パーセント必ずやってきます。

その後に来る人生こそが

真実の人生なのです。

「今世というものは、その後の、真実の人生を生ききるためにこそ、意味を持っている。魂を鍛え、光らせるために、大いなる意味を持っている」

ということを

知っていただきたいのです。




『永遠の生命の世界』
 第5章 永遠の生命の世界
 P218より
 
 


 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 20:01Comments(0)仏法真理

2012年09月27日

肉体を出たり入ったり・・

 
 

sgmillionxu2000





人間における死とは、

「肉体からの魂の離脱」

以外にはなく、

これは、

医学的死と

宗教的死とに

分けられるような

ものではありません。

なかには、

死後わずかの時間で

肉体から離脱する人もいますが、

たいていの人は、

自分の肉体に執着しているため、

なかなか、

肉体から離れようとしません。

死後、二、三時間であれば、

まだ肉体を出たり入ったりして、

肉体に取りついている状態です。

遺族が集まり、

通夜や葬式をして、

本人に「あなたは死んだのだ」

ということを自覚させ、

肉体から魂を離脱させる

という儀式が、

古くから続いていることでも分るように、

通常は

「死後数時間から丸一日、魂は肉体の周辺に漂っている」

と言ってよいのです。

「シルバー・コード」(霊子線)

といって、

魂と肉体をつなぐ、

銀色の線のようなものがあります。

これが切れたときが、

正式な意味における死です。

これがつながっているかぎり、

魂と肉体の意識とは

完全に切れておらず、

ほんとうの意味においては

死を迎えていません。

そのため、

蘇生する可能性があります。

しかし、

シルバー・コードが切れた段階で、

再び生き返ることはできなくなります。
 
 


※シルバー・コード:旧約聖書『伝道の書』第十二章「こうしてついに、銀のひもは切れ・・」  

『永遠の生命の世界』
 第三章 脳死と臓器移植の問題点
 P161より

 


 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 23:41Comments(0)仏法真理

2012年09月26日

再婚する気だな・・

 
 

syuu1228






死んだ人を

棺おけに入れるときに、

よく死に装束を着せます。

白い着物などを着せて

棺おけに入れるのです。

これは悪いことではありません。

あの世を信じてなかった人、

死後の生命を信じてなかった人は、

自分の死んだことに

気づかないことがあるからです。

死んだ人に死に装束を着せ、

通夜をして、

みんなが泣いたり、

お坊さんがきて

お経をあげたりしていると、

本人は怒って

暴れたりしていることがよくあります。

「おれは生きているではないか。おれが死んだことにするとは、こんな悪ふざけは許さんぞ。さすがに人間として許せない」

と家族に怒っている人がたくさんいます。

奥さんに対しては、

「おれを死んだことにして、お前は新しい男を探しているのか」

「おれは、ここに、ちゃんといるのに、死んでしまったことにして再婚する気だな。許さんぞ」

などと怒っている人もいます。

彼らは、

自分が死んだことを、

まず信じません。

まだ生きているつもりでいるのだから、

どうしようもないのです。

ただ、それでも、

「死んだ」という

かたちをつくったり、

儀式をすることは大事なのです。
 
 
 



『永遠の生命の世界』
 第一章 死の下の平等
 P68より





 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 23:15Comments(0)仏法真理

2012年09月25日

こんなひどいこと・・

 
 
 

Rose Braverman


 
 



小さな子供で亡くなったりして、

親より先に死ぬ人もいて、

「なぜ、こんなひどいこと、むごいことがあるのか」

というようなこともあります。

しかし、

いろいろな経験をし、

いろいろな感じ方や

生活の仕方をしている人を、

一定の人数、

この世から霊界に

供給する必要があるのです。

そのため、

赤ちゃんで亡くなる人や

幼児で亡くなる人もいるわけです。

そういう人は、

当初は、

その死んだときの姿で、

あの世に移行します。

それに対して、

あの世でも

「赤ちゃんのお世話をする」

「幼児を育てる」

「小学生を養育し、教育する」

など、そういう魂修行を

している人たちがいます。

その人たちのために、

新しい魂が供給される

必要があるのです。

あの世に来るときに

年を取っている人が多いのは

事実なのですが、

いろいろな年齢の人が来ることが、

あの世にとっては、

ありがたいことなのです。

そのような

新しい経験を積む人が

たくさんいるのです。






『永遠の生命の世界』
 第一章 死の下の平等
 P47より
 


 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 21:17Comments(0)仏法真理

2012年09月24日

相手を抱きしめようと・・

 
  

Kansas Poetry (Patrick)






誰しも平均寿命を中心に

人生設計をしているでしょうが、

その通りにはならないこともあります。

そのため、

いつ、この世を去ることになっても、

「一定のお役には立てた。また、次のチャンスに賭けたい」

という気持ちで去っていけるだけの

生き方をする必要があるのです。

ただ、

大勢の人びとの、

死後の姿を見るにつけても、

「ああ、ほんとうに、心の準備ができていなかったのだな」

ということを、

つくづくと思います。

そもそも、

死後の世界があること自体を知らない人、

認めていない人が大多数ですから、

まったく準備のしようもありませんが、

死は突然に来るのです。

そとのきに、

地上に執着し、

自分の家に執着し、

会社に執着し、

家族に執着しても、

もう、どうにもなりません。

死んで霊となった以上は、

悲しいことに、

この世の人に

自分の声が聞こえないのです。

いくら話をしても聞こえないし、

前日までは

触ることのできた家族の体も、

触ることはできないのです。

想像してみてください。

これは、

ある意味では辛いことです。

「自分の声が相手に聞こえない。相手の手を握ろうとしても、握れない。相手を抱きしめようとしても、体を通り抜けてしまう」

ということです。

こういう世界なのです。

これが、

現実として、

やってくる世界なのです。






『永遠の生命の世界』
 第一章 死の下の平等
 P42より




 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 23:35Comments(0)仏法真理

2012年09月23日

病院で亡くなる人も・・

  


R Hensley 



 


なぜ宗教という

分野の仕事があるかというと、

突き詰めて言えば、

結局、

「宗教家、あるいは宗教を担う人たちは、やはり死の専門家でなければいけない」

ということだと思うのです。

いまは、

病院で亡くなる人も多くなって、

死の問題が、

やや医者の仕事のように

なりつつもあるのですが、

根本的に、

医学において

限界があることは明らかです。

「人間の死は、どのようなものであるか」

という医学的な判定基準は、

いろいろ揺れていますが、

霊界の真実を知ると、

医者は、

非常に些細な、

つまらない議論を

しているかのようにも見えます。

ほんとうに

いちばん大事なところが

議論されてないというか、

わかっていない

という感じがするのです。

「身体の問題しか扱っていない」

というところが医学の限界であり、

医者に、

人間の死のほんとう意味や、

死後の世界を

取り扱う能力はないと思われます。

その意味で、

やはり、

宗教の使命というものは、

いまも大きなものがあると思います。






『永遠の生命の世界』
 第一章 死の下の平等
 P15より
 


 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 22:22Comments(0)仏法真理

2012年09月22日

孫悟空のまねをして・・

 
 

sgmillionxu2000






人間の魂は、

神からわかれてきたものであり、

神の自己表現の芸術であると、

言ってよいでしょう。

ところが、

人間は、

創造の自由と、

行動の自由とを

与えられたことから、

孫悟空のまねをして、

わがままいっぱいに

生きてきました。

そして、

いつのまにか、

親である神のことを忘れ、

神の心を忘れ、

自我我欲と煩悩のままに、

地上生活を営むように

なってしまったのです。

実在界の天国よりも、

この地上界に執着を

感じはじめたときに、

人間の堕落は決定的となりました。

そのために、

地上界そっくりの

欲望と闘争の世界を

あの世につくり、

そこが地獄となってしまったのです。





『太陽の法』
 第三章 黄金の時代
 P296より 
 
 
  
 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 21:20Comments(0)仏法真理

2012年09月21日

とんでもないまちがい・・

 
 

Willburine






わずか、

十年や二十年の

学校教育で受けた知識をもって

世界のすべてが

わかったなどと思ったら、

とんでもないまちがいなのです。

ほんとうの自分に

めぐりあうためには、

自分自身で、

ほんとうの自分とはなにかを

探求するしかないのです。

では、

ほんとうの自分に出会うとは、

どういうことでしょう。

それは、すなわち、

魂の真実に気づくことです。

そして、

魂の真実に気づくためには、

自らの心を

徹底的に探求しなくてはなりません。

自分で自分の心を探求しないで、

一体だれが、

その真実を教えてくれるというのでしょう。

「悟り」とは、

ほんとうの自分自身に出会うことです。

ほんとうの自分の

真実なる心を、

自分自身で語れることです。

つまり、

これが「私だ」と

いいきれることなのです。






『太陽の法』
 第三章 黄金の時代
 P295より
 
 
  
 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 20:35Comments(0)仏法真理

2012年09月19日

ぬいぐるみにしか・・

 
 

guzzphoto







あなたがたが、

自分自身だと思っているものは、

あなたがたの

ほんものではなくて、

ぬいぐるみにしかすぎません。

肉体とは、

魂がこの世で

修行を積むための

のり舟であり、

自動車にしかすぎないのです。

ですから、

舟の船頭が

あなた自身であり、

自動車の運転手が

あなた自身であって、

舟や自動車は、

あなた自身ではないのです。

そこで、

自分の肉体をあやつっている、

もうひとりの自分というものに、

目覚めていただきたいのです。

ほんとうの自分自身に

めぐりあっていただきたいのです。





『太陽の法』
 第三章 黄金の時代
 P295より
 
 
  
 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 22:57Comments(0)仏法真理

2012年09月18日

ラムディア文明・・

 
 

Brett Jordan





いまから

8万年以上前には、

ラムディア大陸という大陸が

インド洋上に浮かんでいました。

ラムディア文明が

栄えはじめたのは、

いまから4万4000年前、

ギリシャ神話にでてくるゼウスが

エレマリアという名で

この大陸に生まれたころです。

この時代の人類は

「感性」が中心でした。
 
この時代には、

人間は感性を磨くことが修行であり、

最高度の修行を積んだ人は、

3000種類の色と、

2500種類のにおいを

区別することができました。

またラムディア文明は

芸術が重んじられ、

音楽、絵画、文学、詩、建築、彫刻

などの方面に大変栄えました。

現代でも、

芸術方面にすぐれた才能を

のばしている方たちというのは、

かつて、

ラムディアの時代に、

勉強をしていた人々なのです。

しかし、

このラムディア大陸も、

いまから2万7000年前、

学芸に酔いしれ、堕落した

人びとの不調和な黒い想念が

文明の末期を覆い、

それに対する巨大な反作用から

わずか一日で海中に没し、

忽然とインド洋上から

姿を消してしまいました。






『太陽の法』
 第三章 黄金の時代
 P256より
 
 
  
 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 22:20Comments(0)仏法真理

2012年09月17日

ミュートラム文明・・

 
 

Salmando





いまから

30万年前から

15万3000年前ごろまで

現在の南極大陸を中心に

栄えたのがミュートラム文明です。

ミュートラム大陸は、

その8割までもが、

現在の南極大陸と重なっております。

ただ、地球の地軸が、

現在とはかなり

位置を異にしているため、

ミュートラム大陸は、

南極大陸とちがって、

気候温暖な地でした。

ミュートラムでとくに

発達していた文明は、

"食生活文明"です。

この時代には、

ありとあらゆる食生活が、

徹底的に研究されます。

どういった食べ物を、

どのような組み合わせで食べるのが、

人間性にとって

いちばん役立つかということから、

食生活と人間の精神生活との関連が、

徹底的に研究されたのです。

しかし、

ガーナ文明が、

好戦的であったけれども

霊的な能力を重視したのに対し、

ミュートラム文明では、

平和的であったのですが、

霊的なものを軽視する考えが

基調をしめていました。

つまり、

このころには、

早くも、

現代の唯物思想の

走りが出てきていたわけです。

現代人のなかでも、

健康食や美容食に

特別な関心がある人たちは、

おそらく

このミュートラム文明の時代に、

何度か転生の経験をもち、

研究に励んだ過去あると

いってもよいでしょう。

ミュートラム文明の最期は、

地軸の変化が

原因となっています。
 
南極大陸の氷のなかには

ミュートラム文明の遺産が

たくさん眠っております。


 


『太陽の法』
 第三章 黄金の時代
 P251より
 
  
 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 21:49Comments(0)仏法真理

2012年09月16日

ガーナ文明が・・

 
 

Brett Jordan





人類4億年の

歴史のなかには、

川を流れるあぶくのごとく、

数かぎりない文明が生まれ、

かつ消えていきました。

いまから、

96万2000年前、

現在のアフリカ大陸と

南米大陸を結ぶ海域に、

海底火山の爆発ののち、

海底が隆起して

大陸が出現しました。

これがガーナ大陸です。

ガーナ文明が栄えたのは、

いまから76万年前ごろから、

大陸消滅までの

約2万5000年のあいだです。

この文明は、

「超能力」を中心とする文明でした。

その当時の人間の大きさは、

男性の平均身長が約2メートル10センチ、

女性は約1メートル80センチです。

男性の眉間には"第三の眼"があり、

いわゆる超能力を発揮する

器官を持っていました。

女性は第三の眼がありませんが、

子宮が一種の超能力器官でした。

母親となる女性は、

天上界の子供となるべき霊と、

自由に話ができたのです。

この文明の時代には、

八つの民族が入り乱れて、

覇を競っていたために、

人びとはつねに、

外敵から身を守る必要がありました。

そのための、

男性の持つ第三の眼は、

武器ともなったのです。

第三の眼の色は、

各民族によって異なっていました。

黄、緑、紫、黒、灰色、茶色があり、

それぞれの民族によって、

超能力の発達の度合いが

違っていたようです。

この時代の真理には、

残念ながら「心」というものは

なかったようです。

ガーナ文明は、

いまから73万5000年前に、

大陸が2つに引き裂かれるという

前代未聞の事件により、

崩壊してしまいます。





『太陽の法』
 第三章 黄金の時代
 P247より
 
 
  
 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 22:42Comments(0)仏法真理

2012年09月15日

この試験にパスして・・

 
  

JamesPickles

 
 



地上界というのは、

ひとつの修行の場なのです。

天上界で自由自在に

生きていた霊にとっては、
 
肉体に宿るということは、

すなわち、

自らの霊性、神性が

試されるときなのです。

自分の霊的なる覚醒が、

はたして本物かどうかが、

徹底的に試される場なのです。

霊的に自由自在の時に、

神を信じることは容易です。

しかし、

この三次元の物質世界の

ルールの中で生活して、

いったいどれだけ

四次元以降のルールを悟れるか。

神の力を悟れるか。

神の力が働いている世界であることを悟れるか。

それが徹底的に

試されるのであり、

この試験にパスしてはじめて、

人間は、

もといた世界以上の

高次元世界へと

還ってゆけるのです。





『太陽の法』
 第三章 悟りの極致
 P191より 
 
  
 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 21:19Comments(0)仏法真理

2012年09月14日

愛のみかえりは・・

  
 




 

なぜ多くの人が

愛において

苦しむのでしょう。

みかえりを求めることは

ほんとうの愛ではありません。

ほんとうの愛とは、

与える愛です。

与える愛とは、

すなわち、無償の愛です。

苦しみの原因は、

自分はほかの人を愛しているのに、

ほかの人は自分を愛してくれない

と思っているところにあるのです。

いえ、ほかの人が

自分を愛してくれないのではありません。

自分が期待しているほどには、

ほかの人が

自分を愛してくれないと思うからこそ、

愛ということを機縁として、

人間はひとつの苦悩に

おちいってゆくのです。

愛のみかえりは、

ほかの人間からではなく、

神からくるのです。

神からくるみかえりとは、

なんでしょう。

それは、

愛を与えれば与えるほどに、

その人自身が

神近き人間に

なってゆくということです。

それが、

神のみかえりなのです。





『太陽の法』
 第三章 愛の大河
 P149より
 
 

  
 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 21:31Comments(0)仏法真理

2012年09月13日

挫折、失恋・・

 
 






人間は、

生きてゆく過程において、

さまざまな困難にぶつかります。

つまり、

そうしたなかで、

魂の修行をしてゆくわけです。

これは、

あらかじめ計画されていることです。

すなわち、

病気、貧困、挫折、失恋、

事業の失敗、友人の離反、

愛する人との別離、

きらいな人との出会い、

年を取り、

醜くなり、

体が不自由になり、

やがて死んでゆくのです。

こうした現象を

現象とだけ見れば、

人生とは、

苦悩と苦しみに

満ち満ちているものかもしれません。

しかし、

苦悩には苦悩の意味があり、

悲しみには悲しみの

意味があるのです。

つまり、

苦悩や苦しみがあるということは、

私たち人間に、

選択をせまっているのです。

選択とはなにか。

つまり、

私たちひとりひとりが、

与える側の人生を選ぶか、

与えられる側の人生を選ぶか、

その選択です。





『太陽の法』
 第三章 愛の大河
 P148より
 
  
 
 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 12:15Comments(2)仏法真理

2012年09月12日

証明することができない・・

  
 



 



人間にとって、

いちばん重要なものは、

かえって存在証明になじまないものが

数多くあるのです。

いつの時代でもそうです。

神-愛-勇気-叡智

善-優しさ-美-調和

進歩-慈悲-真理

真心-無私。

これらはすべて、

宇宙に満ち満ちている実在であり、

光の世界においては、

これらの言葉を知らない方は

ひとりもおりません。

しかし、

この地上では、

だれひとりとして、

そうしたものが、

確かなる存在だと

証明することができないのです、

なぜならば、

これらの大切なるものは、

すべて四次元以降の実在界に

ある存在だからです。

すなわち、

三次元的材料をもってしては、

証明することができないのです。







『太陽の法』
 第三章 愛の大河
 P133より
 
 
  
 
 

  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 21:02Comments(0)仏法真理

2012年09月12日

偽物の愛は・・

 
 


 




愛は、両極端です。

すわわち、

本物の愛は

最高の幸せをもたらし、

偽物の愛は、

最大の不幸をもたらします。

愛は、

人生のよろこびの大半であり、

また、

それを誤解した場合には

人生の苦しみの大半でもあります。

愛の本質をつかみ、

愛を

自分の思うがままにあやつりながら

最大の幸福をめざしてゆく。

その方向には、

一筋の光明が

さし来っているかに見えます。

その行く手には、

神が、

笑顔で、

大きく手をひろげて

待っておられるように思います。

 
 
 
『太陽の法』
 第三章 愛の大河
 P128より
 
  
 
 


 
  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 16:05Comments(0)仏法真理

2012年09月11日

天国で通用する名刺は・・

 







この世で、

地位や財産、

名誉を得ることに

いくら汲々としたところで、

そうしたものは、

死んであの世へ持って還っても、

何の役にも立ちません。

この世で、

総理大臣だったとしても、

一流会社の社長だったとしても、

死んで、地獄に堕ちて、

地獄の鬼が、

その人の肩書きを見て、

ひれ伏すということは

ありえないのです。

もし、

運良く天国に還れたとしても、

天国で名刺を使う機会など、

ただの一度もないのです。

天国で通用する名刺は、

ただひとつ。

すなわち、

その人の、

心の状態なのです。

その人の

悟りの段階なのです。





『黄金の法』
 第一章 黄金の人生を創る
 P44より
 
 




  

Posted by 幸福の科学奄美拠点 at 21:04Comments(0)仏法真理